開業に成功したドクターの声

「集患のプロと言える日本インプラントに全てお任せしています。」 医療法人社団 聖歯会 ヨコハマデンタルオフィス 医療法人社団聖歯会 かねだ歯科診療室 理事長 金田 徳煥 先生 私は6年の勤務医を経て1998年(平成10年)に神奈川県の相模原市にてユニット3台のクリニックを開業致しました。 インプラント治療は勤務医の時からやり始め、開業後も月に数本ですが埋入していました。 ただ開業後は保険診療に追われ、インプラント治療などの自費診療にじっくり取り組む時間が取れませんでした。 クリニックが手狭になった事もあり、開業から5年後の2003年(平成15年)近くにユニット6台の診療所を作り、そちらに移転しました。 これを機に勤務医の先生を2人雇い入れ、少し私に時間と余裕が生まれました。 そして時間が取れることによって、国内外様々なインプラント関連のセミナーに夢中になって参加しました。 そうしているうちに、漠然とインプラント専門医院を作りたいと言う思いが日に日に強くなり、あちこちの物件を見て回っていました。 そんな時に、セミナーで知り合った先生から、「インプラント治療に興味を持つ患者様を紹介していただける会社がある 」というお話しを聞きました。 これが現在の日本インプラント株式会社でした。 そして、「是非、紹介してください」 とお願いし、あいだを取り持って頂くことになったのです。 数週間後、現社長の丸山様とお会いし、提携にあたっての色々なお話しを伺いました。 ただ、その時はクリニックにオペ室が完備されていないという事で、残念ながら提携には至りませんでした。 数ヶ月後、丸山社長から突然連絡が入り、横浜駅前に日本インプララント㈱が管理している居抜きの物件があり、「横浜駅前でセテライトクリニックを開業しません?たくさんの患者様をご紹介することが出来ますよ。 」とお誘いがございました。 私はすぐに物件を見に行き、迷う事なくやる事を決意しました。 そして、2007年(平成19年)7月晴れて日本インプラント㈱の提携クリニックとしてスタート致しました。 相模原と横浜の2クリニック同時です。提携から数年は契約が思ったほど取れず、とても苦労しました。しかしそれでも契約金額に関しては最初の5,6年は横浜で月700〜800万円、相模原で200〜300万円はありました。 2014年(平成26年)には横浜で年間1億を超え、2017年(平成29年)には相模原で年間5000万を超えるようになりました。 有難い事に紹介患者も増え、契約金額も年々増加していきました。 ただ、横浜のクリニックがユニット3台と言う事もあって、補綴やメンテナンスの患者さんでアポイントが埋まってしまい、初診カウンセリングやオペの患者さんの予約がかなり取りづらい状況になってしまったのです。 日本インプラント㈱のコールセンターに患者様からの問い合わせがあった日から出来るだけ早い日時に初診予約を取れる事が契約に大きく影響を与えます。如何に患者さんの気持ちが熱い時にカウンセリングを行うかが重要となります。 そこで私のとった行動は移転です。 より広く、より駅近の物件を探し、2015年(平成27年)の夏に移転開業致しました。横浜1クリニックだけで2016年には1億5000万、2017年には2億,2018年には2億6000万、2019年には3億4500万、2020年はコロナ渦にもかかわらず3億7500万という契約金額となりました。 相模原に関してもユニット6台を5台に減らし1台を個室に改装していたのですが、保険診療の患者さんとの差別化が出来ず、15年経過した保険診療メインのクリニックではこれ以上の契約金額のアップが見込めないと思い、2018年に3軒隣のビルにインプラント専用のクリニックを開院しました。その結果、2018年らの契約金額は1億1000万円と前年より倍増し、2019年には1億3100万円、2020年には1億7700万円となりました。2つのクリニック合わせると、5億5000万という結果となりました。 私は日本インプラント株式会社と提携した当初、インプラント患者の集客を目的に自らインプラント説明会や広告等を頻繁に行なっていました。 かなりの時間や費用を費やしましたが、思った程効果は出なかった為、現在は行っておらず、集患のプロと言える日本インプラント㈱に全てお任せしています。 その結果、集患の事を考えず、カウンセリングやオペに集中する事が出来ています。 紹介頂いた患者様は、日本インプラント㈱の優秀なコールセンタースタッフの詳しい説明により、ある程度インプラント治療については理解されています。金額のことや私の経歴や埋入本数、経験年数なども患者様は知って来院されます。 また患者様の口腔内の状態や、現在の悩み、主訴なども来院数日前にはクリニック側が把握出来るシステムになっている為、事前に対策を考えカウンセリングに挑むことが出来るのです。そのためカウンセリングがとてもやりやすく契約率も65%~70%を維持することが出来ています。 多くの歯科医院は患者様がそれなりに来院し、売上げがある程度確保出来たら、それを維持する事を考え、守りに入ると思います。それは結果的にマイナス成長となり、余程の事がない限りプラスに転じる事はなく、衰退の一途をたどる事になります。 私は開業後、一度も現状に満足せず、必ず前年度よりプラスの成長を目標にして来ました。その結果、1998年に開業し、2020年に至るまで、毎年プラス成長を達成してきました。 これを読まれた先生方は是非、一歩を踏み出して欲しいと思います。どんな小さな一歩でも、将来必ず大きな成果をもたらしてくれると私は信じています。 ここまで読んでくださりありがとうございました。 「集患対策への負担が大きく減り、治療への情熱も上がって行きます。」 Kdentaloffice 柏ジャパンインプラントセンター 川崎 智之 先生 10年ほど前の事になりますが、公私共に大変お世話になっている先輩歯科医師が、現在の日本インプラント㈱の提携先であり、インプラントの実績を上げていらっしゃる事は存じ上げておりました。ある時、日本インプラント㈱の丸山社長と、品川にあるホテルのラウンジで初めてお会いする機会があり、私も提携先になりたいと思い、面談を行って頂きました。その時は、残念ながら提携する事は出来ませんでした。それから2年後の晩秋のある日、先輩歯科医師から、「千葉県の柏で日本インプラント㈱の提携先として開業してみないか」と突然電話を頂いたのです。前回の面談では、提携を断念せざるをえなかったのですが、諦めきれない気持ちを持っていました。即答で「やります!」と言いたかったのですが、やはり開業となると、資金繰りや今も続けている父の代からの歯科医院の事などを、考えなくてはいけない状況でした。しかしながら、せっかく頂いたお話でしたし、「週2日診療のサテライト開業で大丈夫です。」と丸山社長から言われていましたので、ご連絡頂いた翌日の朝に銀行で融資の打診をおこない夕方には良い返事を頂けたので、24時間以内に「やります!宜しくお願いします」と電話をかけていました。 新たに開業をするとなると、色々準備は必要ではありますが、念願の提携先になれると思うと、日頃の診療の合間に時間を作る事は苦になるどころか 前向きな気持ちの方が勝り、とても充実した時間でした。そして2013年3月千葉県柏市にKデンタルオフィスの開業に至たりました。どの業種にも言える事ですが、開業となると集客(集患)が一番の悩みの種となります。 日本インプラント様と提携する事で集患対策への負担が大きく減り、治療への情熱も上がって行きます。日本インプラント様の素晴らしい所は、完全成功報酬型なので、紹介を頂いた患者様が治療を開始されると費用が必要となります。 治療が開始されない限りは費用が一切かからないというのも安心出来るシステムです。 実際にどのような経営状況なのか、皆さんがとても気になる所だと思いますが、初年度から、週二日の診療で5,000万円を上回る実績を上げることが出来ました。開業4年後には倍増となり、皆さんが目標としている1億円を達成することが出来ました。 サテライト開業でスタートし、今ではスタッフも増え、1年間の売上は次のステージ直前まで迫ってきました。8年間の総実績を顧みると、年平均1億円なので、簡単に想像出来ると思います。ここまで一歯科医院が成長出来たのは、日本インプラント様の素晴らしいビジネスモデルがなせる技だと、改めて感謝しております。 20代の頃から、私の趣味である車のオーナーズクラブで、異業種の方々と交流があり、皆様それぞれの業界で成功を収めている方ばかりなので、成功の秘訣などの話しもよくしていました。しかしながら、歯科医院の経営となると 他業種の秘訣も参考にはなるのですが、今ひとつしっくりこなかったのです。 日本インプラント㈱との提携後は、同じ提携先の素晴らしい実績を上げていらっしゃる諸先輩方のお話を聞ける機会も設けて頂き、経営者としての自覚と展望も開けてきます。 これから新規開業を考えていらっしゃる先生方、日本インプラント㈱と提携出きるという事は、歯科医師としても人としても、大きく成長させて頂ける 機会を得る事です。提携のお話があるようでしたら、明るい将来の為にも 是非、提携する事をお勧め致します。 「日本インプラントと出会いはチャンスです。必死に掴みにいってください。」 O.D.C.オアシスデンタルクリニック 浜松駅前歯科クリニック 後藤 英夫 先生  私は大学卒業後、大学病院の歯科口腔外科、病院歯科勤務などを経て2006年から大型医療法人 の歯科医院に勤めました。34歳の頃です。 インプラント治療に関してある程度やっていけるという自信もあり、勤めていた医療法人が名古屋駅に自費を中心にしたクリニックを開設するということで、そこの分院長になることとなりました。2008年から2012年3月まで年間100本程度のペースでインプラント治療を行い、年収も1,500~1,800万円程度はありました。勤務医としては十分な額を頂いているという認識で、「このままずっと勤務医でいいかな」と考えていましたが、「いつまでもこの状況が続くのかな?」という漠然とした不安がないわけでもありませんでした。そんな折、案の定というかその分院を突如、閉院すると事務長から聞かされました。 売り上げはある程度ありましたが、家賃も高く赤字であることは分かっていたので、あまり驚きはなかったのですが、「なぜ分院長の自分に事前に話がなかったのか?」という怒りを強烈に覚えました。その時、やっぱり雇われ院長は、所詮雇われで、経営にしても医院運営方針にしても決定権は全くないんだなと痛感しました。閉院後も本院に戻って勤務医を続ける道もありましたが、給料は間違いなく下がるだろうし、分院長の時より自由はなくなるだろうと思い、人生で初めて開業を考えました。 給料が高額になり年齢も上がっていくと勤務医というのは理事長からすれば煩わしい存在になることは感じていたので、辞めて開業するならこのタイミングしかないと考えました。  ところが開業を全く考えていなかったので開業費用も全く準備できていませんでしたし、「さあどうしよう?」という状態におちいりました。ただ、のんびり考えている余裕はありませんでした。まず閉院する分院の患者さんをどうするかという問題がありました。医療法人の本部は愛知県岡崎市だったので名古屋市の患者がそちらに通うというのは現実的ではありませんでした。 名古屋駅の近隣の歯科医院にみすみす紹介するのも面白くなかったので、名古屋市で開業してそのまま分院の患者さんを診ていくことは経営的にも重要だと考えました。それには他のクリニックに転院されないように一刻も早く開業して受け皿を作る必要がありました。 そこで私には思い当たるクリニックがあったのです。これがラッキーでした。  勤務医時代に私はインプラント関係の勉強会にはよく参加していました。当時、毎月1回京都のインプラント勉強会に参加していました。その勉強会後の懇親会で大谷先生から「名古屋で分院長がいずれ辞めることを考えているクリニックがあるので、インプラントが出来て引き継げる先生を誰か名古屋で知らないか?」と話があったことを思い出しました。当時、自分自身は勤務医でそれなりに責任ある立場だったので、「私がやります。」とは言えませんでした。だからと言って紹介できる先生もなく話はそのまま終わっていました。ただ私はその話はなんとなく気になっていて閉院の3ヶ月前に、そのクリニックを見学させてもらっていました。名古屋の中心地、栄ですごく魅力的でした。閉院が決まった時、このクリニックを買い取らせてもらうしかないと思い、その日すぐに大谷先生に連絡をしました。それが2012年3月7日です。この日は鮮明に覚えていて、絶対に忘れることができない人生のターニングポイントでした。  まだ引き継ぎの先生は決定しておらず、大谷先生は相談に乗ってくれました。4日後の日曜日にヒルトン大阪のロビーで会う段取りをとっていただきました。「3月末に閉院し、4月いっぱいで既存患者さんへ連絡をして5月のGW明けには開業してスムーズに患者さんを迎えたい」というのが自分の描いた青写真でした。それには一刻も早く医院の買取を決めて、開業資金を集めるための銀行交渉から人材確保など進めていかないと間に合わないと考えていました。  夕方、ロビーに向かうと大谷先生と現日本インプラント㈱の丸山社長がいらっしゃいました。日本インプラント㈱はインプラント患者を紹介してくれる会社で、大谷先生は大阪、そして今回の名古屋栄のクリニックさんも患者紹介を受けて医院経営を行っていました。それで名古屋のクリニックとともに紹介元会社の丸山社長とも引き合わせてくれたのです。  初対面で丸山社長の雰囲気には圧倒されたというか、怖かったというか。その時の率直な気持ちは「この人、堅気じゃないな・・・(笑)」でした。ただ今更逃げ出すわけにもいかず、「人は見かけによらない。」と自分に言い聞かせ、お話させていただくことになりました。名古屋のクリニックの運営や売り上げ、紹介状況などの説明を受けました。名古屋のクリニックは週2で年間売上が3,400万円ほどあり、ほぼ紹介患者で成り立っていました。3,400万円と言えば、普通の歯科医院の平均的な一年間の売上額です。それを週2日だけの診療で達成していることに驚きました。開業で最も不安だったのが集患でした。最初は勤務医時代の患者を診ていけば凌げるかもしれませんが、長くは続きません。安定して集患できるシステムを持っていれば名古屋の中心部でも勝負できると考え、栄のクリニックを買い取らせて頂こうと私自身は決意しました。でも大谷先生や丸山社長からしたら私が本当に大丈夫なのか半信半疑だったはずです。その時は勤務医時代の実績を話すしか材料がなく、あとは誠意を示すのみでOKしてもらうことを祈るのみでした。  その後、実務的な話は丸山社長と話していくことになりました。幸いにも前向きに評価していただき開業の方向で話が進んでいきました。初対面から2週間後の3/25の日曜日に新大阪で丸山社長とお会いして、前回より踏み込んだ具体的なお話をしました。週4日の診療で初年度は5月スタート、8ヶ月で3,500~4,000万円を見込んでいるという話でした。勤務医時代の患者の売り上げも想定すると順調なスタートが切れると安心できる内容でした。あとは開業に向けどれくらいの費用が必要なのか、CTを導入、既存スタッフをどうするかなど具体的に話が進みました。  一応、開業地が決まり次は資金調達です。普通は自己資金を貯めて銀行からの借り入れの約束も得た上で開業に向かうのでしょうが、全く逆になってしまいました。開業地が決まり、開業日はGW明けの5/7に決定。開業資金0実質1か月後の開業です。そこから逆算して準備に入りました。勤務医だったので銀行や税理士と付き合いはなかったのですが、友人の開業医に紹介してもらい税理士さんを決め、銀行との借り入れの交渉に入りました。信用金庫や地方銀行、国金と交渉しました。自己資金がないため事業計画だけが頼りでした。信用金庫など2,3行は断られ、結構焦りましたが十六銀行と国金からの融資を受けられることになりました。この際にも既存の患者がいることと、日本インプラント㈱から患者を紹介してもらえるため売上が計算できることが決め手になったと思います。 十六銀行から3,000万円、国金から1,500万円、計4,500万円を借り入れ、クリニック買取資金と運転資金を確保いたしました。スタッフは常勤歯科衛生士2名、常勤助手1名、非常勤の受付1名の4名でスタート。ユニットは4台でした。CTがなかったため、別にCTを1,200万円にて購入、メーカーの協力もあり開業翌日には設置できました。こうして無事、開業医としての第一歩を踏み出しました。  開業直後から紹介もあり、また勤務医時代の患者もあったことで翌月から月に10本程度のインプラントOpeを行い、結果8ヶ月で114本、クリニックの売上が5,400万円と順調なスタートを切ることができました。自費率が95%以上ということで売上が診療日数に依存しないことから、火水木土の週4日の勤務で良く、精神的には大変でしが肉体的にはとても楽になりました。  インプラント中心になると当然、技工料や材料費は高くなるので、そのぶん人件費や家賃などの固定費が大きくならないように配慮し、できるだけ少人数、短時間診療で経営が成り立つよう考えました。  日本インプラント㈱からの紹介患者の契約金額は2012年が3,498万円、2年目が5,432万円となり安定して初診患者様をご紹介してもらっていました。ただ自費率が高く、当初は紹介人数も多少の波があったので、月によっては売上がガクッと落ちる時もありました。開業初期は手持ちのキャッシュが少なかったので少し不安になることもありました。でもこれは長くやっていれば解消していく問題だと考えていましたので、更に安定した売上が今後の課題でした。  3年目を迎えた2014年の1月。私は年始の挨拶に京都の日本インプラント㈱に訪問させていただきました。社員のみなさんに挨拶して、丸山社長と食事する予定で割と気楽に行ったのですが、社長から「ここでサテライト(分院)を出さないか?」という話が持ち上がりました。半分冗談だと思っていましたが、スタッフの方が浜松市と静岡市の分析データを持ってきて真剣に話してくるので、だんだん私も真剣に考えるようになりました。 1クリニックだと月ごとの売上が不安定なことが課題としてありました。また40歳代前半なのに週休3日でのんびりしている診療体制を、自分の周りの先生や丸山社長にも事あるたびにいじられました(笑)。週休3日のスタイルは気に入っていたのですが、「今やらなくていつやる!」という思いもあり、またもっと稼ぎたいという欲もあり、「やってみるか」という気持ちになりました。1軒目の経験があったので今回はそれほど経営的な不安はなく、ただただ「休みがなくなるなあ〜」という思いだけでした。 浜松市と静岡市ではマーケットとしてそれほど変わらないということでしたので、名古屋から近い浜松市を選択し、今回は自分で一から新規開業することになりました。  週3日休みがあったので準備する時間は十分にあり、休日は浜松駅近で物件探しです。紹介がほぼ100%となるためアクセスとわかりやすい場所というのが重要です。場所さえよければ、1階よりも上の階の方が家賃も安くなり良いと思います。駆け込みでの来院はむしろ避けたいので1階はオススメしません。景気がよくないのか、いい場所で手頃な広さの物件がすぐに見つかりました。家賃も安く、名古屋栄の3分の1という価格でした。そこから順調に内装工事に入り、 2014年7月に2軒目を新規オープン。まさか開業2年後に2軒目を出すことになるとは夢にも思いませんでしたが、集患に不安がなかったため思い切って踏み切ることができました。  初日からカウンセリングが1日5件くらいのペースで入ってきて順調にスタートできましたが、今回は全くのゼロからのスタートだったので、数ヶ月は診療がお昼過ぎには終わることもよくありました。ユニット2台(3台分のスペースは確保)でプロパーの保険のみの患者は出来るだけ近隣歯科医院に誘導させていただき、ほぼ日本インプラント㈱紹介のインプラント患者のみを対象にしました。規模を大きくすると1人でまわせなくなるので注意しました。本院があるという余裕があったので、無理をせず売上をゆっくり伸ばすことができました。それでも浜松の初年度は半年で3,800万円、翌年には1億を超えました。 名古屋の売上も1億2,000万円ほどあったので2軒で2億超えを達成しました。2016年以降も少しずつ売上を伸ばし、昨年2020年はコロナ禍でありながら概ね3億というところまできています。  矯正医が勤務していますが、基本的には2軒を私1人で運営しています。そのためほとんど休み無しですが、ここ7年近く特に問題なくこなせています。同じクリニックで診療日数を増やしても必ず売上が倍になるわけではありません。エリアごとに紹介できる患者数が限られているので、通勤出来る範囲で2軒持った方がインプラント患者は増えます。現在名古屋も浜松もほぼ同じような売上になっており、1軒の時より倍増したと言えると思います。倍働いて売上も倍増しなければそれには意味がないと思うので私としてはサテライト開業という選択肢は非常に良かったと思っています。2軒あるので月ごとの売上額の波も平坦化しました。両方紹介が少ないということはなく、どちらかが落ち込んでも、もう片方がフォローする形になりました。最近は自然災害や2020年の新型コロナ感染症の流行など予想外の事が起こり得ます。 そのような時に都市部と郊外といった形で2軒あればリスクヘッジにもなります。 2020年の売上は初めて浜松が名古屋を上回りましたが、これはコロナが影響していると思います。特に2020年は浜松サテライトクリニックを開業したことが経営的にも精神的にもとても助けになりました。 以上が2012年から2020年までの経緯です。  歯科医院経営は非常に厳しいものです。保険中心の経営だと結局大型化するしかなく、そこには人材をいかに集めるかという問題が横たわってきます。長時間の勤務を求められるクリニックでは人が集まりません。また薄利多売で多くの患者をこなす必要があり、肉体的にも大変です。 人件費もかかりますし、売上はあっても院長に残る金額はわずかでしょう。 大多数と同じことをやっていては結局、競争せざるを得ないので体力勝負になります。 しかし、インプラントは意外と年間100本以上こなせるような歯科医師は少ないのが現状です。 さらに無歯顎などの大きなケースに対応できる歯科医師になるとほとんどいません。まさに ブルーオーシャンです。競争の必要がない1人勝ちの世界です。しかし集患さえできればという条件がつきます。そのための日本インプラント㈱による「あんしんインプランント」です。 インプラント患者を多く集めるためには広告は不可欠です。しかし私も勤務医時代に経験がありますが、かかる費用の割に集患は難しく、歯科医師が片手間でできるような甘いものではありませんでした。 日本インプラント㈱の紹介料は完全成功報酬なので無駄がありません。確実な広告費と考えれば、非常にお得だと思います。そして何より集患に不安がないことが精神的な安定に繋がります。  私は勇気を持って開業して良かったと思います。人との出会いやタイミングなど運にも恵まれました。誰にでも必ずチャンスは訪れます。しかしそれを逃すか掴みに行くか、チャンスと気づけるかどうかはその人次第です。もし日本インプラント㈱さんと出会いがあったのならそれはチャンスです。必死に掴みにいってください。 「幸運の女神に後ろ髪はない」 今を逃したら次はありません。勇気を持って一歩踏み出していただければと願っています。 「新規開業を進めているのであれば、これほど強い味方はないと思います。」 医療法人センヤ会 いずたにデンタルクリニック再生医療・インプラントセンター 泉谷 剛行 先生  元々、自分自身のモットーである「すべては患者さんのために」を追求した歯科治療を行っている中で、インプラント治療を含めた総合医療をどんどん導入していきたいと思っていましたが、中々インプラント治療に結びつかず悪戦苦闘している日々を送っていました。正直なところ、当時は月に1件インプラント手術があれば良い方でなかなか患者さんにインプラント治療の良さを伝えることができませんでした。  インプラント治療の素晴らしさを自分なりに理解し、インプラントに関する勉強会もたくさん参加し、技術の研鑽に励んでいたところ、大阪心斎橋のオオタニデンタルクリニック院長である大谷先生との出会いがありました。出会いといっても、ただ大谷先生の勉強会に参加し、症例等を拝見しすごく感銘を受けただけで、お話を沢山させて頂けたわけではないのですが・・・。  それから私は大谷先生のストーカーとなり、先生自身が主催される勉強会や講演会に参加し、クリニックの見学もさせて頂きました。そこで自分自身今まで何をしていたのだろうと打ちひしがれたのを覚えています。それと同時に私も大谷先生のようなクリニックにしたいという野望も生まれました。  大谷先生との出会いから3年ほど経過したぐらいにインプラント治療も少しばかり増え、私自身もインプラントの勉強会で発表の機会を頂けるようになった頃、大谷先生・ストローマンからの推薦で日本インプラント(株)との提携のお話を頂きました。 初めて丸山社長と面談した時は、非常に緊張したのを今でも覚えています。当医院と提携して頂けるか不安でしたが、提携して頂けることとなり、それからは今までの苦労は何だったのかと思うくらい燻っていたインプラント治療の件数が数倍に増えました。  提携する前は100万、200万のインプラント契約はたまにしかなく、正直契約額が多いのは特別な医院だけだろうと思っていました。しかし日本インプラントと提携した途端に100万以上の契約が沢山できるようになっただけでなく、数百万以上の契約も増加しました。  こんなに契約ができるようになったのも日本インプラント(株)からの紹介があるからですが、同社との提携は、ただ単に紹介する側、される側という関係だけでなく、契約に至るにはどうすべきか等、経営面においても色々教えてもらえます。その結果、全体的な自費率の向上にも繋がったのだと思います。  具体的な数字でいうと、自費と保険診療の割合が2:8であったのが、自費が5~6割、保険診療が5~4割と大幅に自費率が増えました。提携する前は、年間の売上を5,000万稼げたらいいだろうと思っていたのが、提携して1年目から1.2倍になり、あっという間に2倍。正直私も驚きました。  経営の勉強会を開いたり、本を読んだりして、歯科業界で中々届かないだろうと思っていた『年間の売上1億円』という目標が現実味を帯びるようになりました。その翌年は私が掲げていた目標値を超え、経営面としてはかなり潤いました。  私の医院は閑静な住宅街にあり、駅からも最寄りのバス停からも非常に遠く、歯科医院の立地としては最も悪条件の場所にあります。日本インプラントと提携していなければ、『私の理想の目標値』に到達するのは到底不可能だったであろうと確信しています。こんな立地の悪いところでこれだけ患者さんが来てくれるのであれば、駅から近くて今より立地が良くなればどうなるのかと心をワクワクさせ野心も剥き出しになっていきました。既存の医院は父から継承したもので、私自身が一から理想とする医院を開設したいという想いもあり、本院からもそれほど遠くない駅に近い場所でサテライト医院を開業することで、より幅広い患者さんが来院してくれるのではと思い、さっそく行動に移しました。  『私の夢であったインプラント治療のためのセンターを設立し、より高度な、最先端の医療を実現できる場所を作成する』 提携して2~3年ほどで私は夢に向かって突っ走りました!! 分院(サテライト医院)を開設するにあたり、日本インプラントと提携していることにより宣伝広告費をほとんど使いませんでした。使った費用といえばホームページぐらいだと思います。本来、医院を開設する場合はビラを配ったり、内覧会を行ったりと初期投資が非常に重要となってきますが、分院は一切そのような費用を使わずとも、開業当初よりたくさんの患者様の予約が入ってきました。これは本当に提携することによって紹介して頂ける患者様がいる強みだと思います。  サテライト医院を開設してからは本院で紹介して頂ける患者様の数も圧倒的に増えました。当医院のサテライト医院は紹介して頂いた患者様、その患者様からの紹介で、ほぼ100%ですが、それだけでも1年で本院に近い売上を上げることができるようになりました。本来、サテライト医院は週2回ほど診療し、メインは本院で行っていく予定でしたが、それでは紹介患者様の診療が追いつかず、本院とサテライト医院で私の診療日が逆になるぐらい患者数は急増し、本院・サテライト医院を合わせると私が想像していた以上の売り上げを上げることができ、正直驚いております。 新規開業やサテライト出店を考えている歯科医師にアドバイス  新規開業を行なう上で何よりのメリットは自費率の向上です。患者様に自費治療のお話をする際に患者様を探りながら行うことは皆さんも経験があるかと思います。しかし、提携することで入れ歯、ブリッジ、インプラントなどの選択肢の利点・欠点から話を進めるのではなく、インプラントをメインとした治療提案ができる。これは本当にありがたいことだと思います。これができるのは日本インプラント㈱のコールセンターの方々が詳しくインプラント治療について、またインプラントの良さについて時間をかけながら丁寧に説明してくれているからだと思います。これを自分の医院でやるとなると非常に時間がかかるだけでなく、探り探り患者様に接してしまうので気持ちも疲れてしまいます。  また宣伝広告の面でも日本インプラントのようにテレビCMを製作し全国ネットで放映するのは小さな医院では不可能です。新規開業医だけでなく、ベテランの先生方も自分の医院でこれだけのことができるのか自問自答してみてください。私は絶対にできませんし、これだけ前もって私の経歴を紹介して、インプラント治療を詳しく紹介して頂いているのであれば、宣伝広告費を自分で支払うよりも絶対にメリットがあると思っています。新規開業に向けて進めているのであれば、これほど強い味方はいないと思います。  サテライト医院を開設した際は、正直最初は苦労しました。やはり単純に2つの医院を行き来する大変さ、管理する大変さ、そして歯科医師の確保など・・・。しかし、患者様はたくさん紹介して頂ける。紹介して頂けるが診療する時間が制限されるという問題で悩まされていました。そんな問題もシステムを強化し、時間と共に解決し、今では「あの時大変だったな…」という良き思い出になっていますが、サテライト医院を開設して更にインプラント治療の件数が増えたことで売上だけでなく、私も臨床医としてたくさんの経験を積ませて頂けるようになりました。  サテライト医院は本来のやりたい治療に専念できる。集中して診療に取り組める環境ができたことが本当に良かったなと思っています。 私の更なる野望  インプラントは入れたらおしまいではなく、長く寄り添っていく必要がある治療だと私は思っています。寄り添うことで安心してインプラント治療を受けて頂けますし、信頼も得られると思います。これはインプラント治療の契約にも繋がってくると思います。  実際に市内まで通院が困難だからといって転院し、当医院にお越し頂く患者様も多数いらっしゃいます。それとは逆に市外から時間をかけて来て頂いている患者様もいらっしゃいます。  そして日本インプラントからの紹介患者様の初診相談をした際に、本当に歯科難民が多いなと感じることが多々あります。  歯科治療で悩んでいらっしゃる方が一人でも減るように、もっともっと患者様がインプラントを通して幸せになれるように分院(サテライト)展開を行いたいと思っています。  まずは北河内でNo1です!! 「 」 医療法人社団燦佑会 上野スマイル歯科 若島 満 先生 (準備中) 「 」 医療法人オオタニデンタル クリニック Dental office W.I.C. 大谷 昌 先生 (準備中) 「 」 医療法人社団潤和会 日本インプラント八条口クリニック 三宮駅前歯科インプラントセンター 前田 潤一郎 先生 サテライトクリニックをオープンさせる意義 私は2011年に大阪の大谷先生のご紹介で旧ジャパンインプラントとクライアント契約を結びました。 その当時私は現在の今出川本院だけを経営しており チェア8台 代診3名 受付2名 コーディネーター1名 衛生士5名   助手4名 技工士1名という規模で診療をしていました。 インプラントに関しては平成元年より携わってきましたが、本格的にインプラントを自費診療の主軸にしたのは平成5年の頃からです。 当初、年間インプラント本数が少しずつではありましたが年間目標100本を達成し次は年間150本を目標にしました。 振り返ると50本毎に壁があったと思います。150本を達成するのに3年ほどかかりました、そして次は200本を目標にしました。この目標も達成するのに3年ほどかかり、その後250本の目標にはなかなかとどきませんでした。 その当時日本インプラントからの紹介患者さんは月間2、3件くらいで、契約率は12%くらいでした。今振り返れば当時の契約率はとんでもない低い数字なのですが、その頃のコンサルからすれば当然の結果だったと思います。 その当時のコンサル・・・ 「完全成功報酬とはいえ日本インプラントへの費用が必要になる、出来ればプロパーの患者さんから掘り起こしたい」 が根底にありました。つまり取れなくても仕方ないし、やってほしい患者さんだけでいいじゃないかという考えでいました。 「紹介患者さんも少ないしこのくらいでいいかな・・・」です。 しかし、インプラントは200本前後から増えていきません。 いつしかこれが限界なのかと思うようになっていました そしてこの頃の私は、他の先生達から「ビジネス」として見られるのを嫌がっていました。学術、学会、講演会、スタディークラブの講師、これらのタイトルにしがみついていた私はビジネスと思われるのは自分のステイタスに影響するとさえ思っていました(笑) そう(笑)ですよね。 丸山社長からは2011年契約当初よりずっと「京都駅近辺でサテライトを出してください」と言われ続けていました。 僕が分院を出す・・・歯科医師会の先生達になんと思われるだろう・・ という思いがありなかなか決断できないまま5年が過ぎました。 そんな中、経営的にも売り上げを上げるには分院展開しかないのかと思い出しました。 そして、「日本インプラントへの成功報酬は必要かもしれないが、しかし、損にはならない、必ず少しでも収益は上がる。」と考えられるようになりました。 カウンセリングの考え方も変わりました。 また、そうなるといかに経費を抑えるか、治療の効率化を図るか、人件費をどう抑えるか、等々経営者として今まで無頓着であった所に目が行くようになり、初めて歯科医療をビジネスとして捉え始めたのです。 今更でしたが、サテライトを出すために動き出しました。 2016年に京都駅近くに「日本インプラント八条口クリニック」をオープンさせました。そのネーミング通り99%日本インプラントからの紹介患者さんだけのクリニックです。そして日本インプラントとの共存という思いをのせての開業でした。(私の勤務は週3回、チェアは2台) おかげさまであれから5年目を迎え年間平均220人の紹介をいただき2億を超える収入をえるまでに成長しました。 この八条口クリニック開業後、ご縁をいただき三宮駅前歯科もオープンさせました。 三宮は私の勤務は週2日です、こちらも2億を超える収入を得ています。 サテライト展開を行うためには以下の点が必要だと考えています 1、 自らが歯科医療を医業ととらえ自分の描くビジネスモデルを作る 2、 日本インプラント(株)をビジネスパートーナーとしWin Winの関係を作る。そして、このことをスタッフ全員が理解・共有している 3、 インプラント治療ができる歯科医師を育成・採用する 4、 各クリニックにコンサル専任スタッフを育成する 5、 スタッフ全員が院長のビジネスの目標に同調してくれている 以上だと考えています。 僭越ながら自分の体験を交えて 歯科を医業と捉えサテライトクリニックの展開についての意見を述べさせていただきました。世間はコロナ禍で今後の先行きは不透明です 今後のクリニック運営の可能性をみて自分のあるべき方向性を決めていただけたらと思います。 「 」 医療法人社団敬潤会  国際デンタルクリニック 仙台 インプラント&矯正センター 国際デンタルクリニック千葉インプラント&審美・矯正センター 国際デンタルクリニック新宿 インプラント&矯正センター 国際デンタルクリニック 札幌インプラントセンター 保母 浩児 先生 (準備中) 「 」 医療法人社団飛翔会 池袋デンタルオフィス ジャパンインプラントセンター 李 徳操 先生 (準備中) 「 」 医療法人AQUA 静岡デンタルオフィス 森本 敬太 先生 (準備中)
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